初の開催となったROTAX MAX グランドファイナルが、2000年11月18-19日 カリブ海に浮かぶ島、アメリカ領/プエルトリコにて行われました。それぞれの国から選ばれた選手は、エントリー代・飛行機代・宿泊代・マシン代 他全てが、ROTAXとスポンサーの負担で招待されました。
日本でも2001年にはROTAX MAXチャレンジレースを行いポイント上位者をこのグランドファイナルに招待する予定です。(2002年1月 ランカウイ/マレーシア)
観戦記
2000/11/15
夕刻、名古屋空港を後にしてデルタ航空で一路、北米大陸へ。
目的地は、カリブ海に浮かぶ島、Puerto Rico(プエル・トリコじゃなくプエルト・リコなんです、リッキー・マーティンの故郷)、第一回ROTAX-MAXワールドファイナルレースの視察とその後に行われる、ROTAXディストリビューター会議への出席が目的。
8時間ほどのフライトで北米東北部の都市ポートランドに到着、2時間の乗り継ぎ時間の後、北米大陸を左上から右下に横断して、北米南西部の都市アトランタへ約5時間のフライト、現地時間11/15の20:10、乗り継ぎ便が無いので1泊、ホテルで食べたハンバーガーは、美味だった。 翌朝10:10の便でPuerto Ricoサンファンへ、定刻より少し遅れて現地時間11/16の15:00、 名古屋空港を飛び立ち約33時間、平均気温30℃の常夏の島へ無事到着(どの位遠いかは、地球儀で確認してね!日本との時差は13時間)。
日差しが強い、想像していたより大きな島で都会だった、横100km縦30kmの島に360万の人が住んでいてそのうち120万がここサンファンに住んでいるらしい。 手配していたレンタカーでまずはホテルへ、チェックインまで時間があったので。 サーキットの場所をフロントのお姉さんに教えてもらい直行、不慣れな右側通行と標識が全てスペイン語、一般の人は、スペイン語を日常会話に使っている、得意の“なんちゃってイタリア語”を駆使して道を教えてもらいながら、35km位しかない距離をたっぷり2時間かけてサーキット到着(Arrowチームは、初日4時間かかったらしい)。
サーキットは、時計回りの約1km強のコースで最終コーナから直角コーナを挟んだ2コーナまでの直線部分と2コーナーから最終コーナまでのテクニカル部分からなっており道幅も適当でパッシングポイントも多くあり良いコースだと思う。 しかし、その他の付帯設備が追いついておらず、ピットもパルクフェルメ、もちろん駐車場も全て未舗装、赤土の上にバラスを敷いただけなのでカートを移動させるのも大変そう。 ピットは、サーカス小屋みたいなでっかいテントの中に各国毎に区分けされている。 夕方6:00を回っていたので既に走行は終わっており、初日と言うこともありピリピリした雰囲気はなく、和気あいあいとして、あちこちから様々な国の言葉が聞こえてくる。
タイム的には、南アフリカの2人とArrowの5-6人が45秒中盤でトップ争いをしていたようだ。
Arrowチームの作業が終わるのを待ち、先導してもらい道を間違えることもなく無事ホテル着、その夜は、DrewPrice(DPE社社長)、奥さん、JohnBussell(10年位イタリアのカートメーカーで働いたオーストラリアン、今年から海外担当の番頭さんとしてDPEで働いている、)それとキャブレター担当のメカニックのおじさん(ごめんなさい名前忘れてしまいました、もらった名刺にも工房の名前しか乗ってない)達と深夜1時近くまでカートのことについて熱いトークをしてプエルト・リコ1日目は終わり。
2000/11/17
時差ぼけがひどい身体にむち打ってホテルの朝食会場に行くとドライバー、メカニック達は、既に出発したようでROTAXのスタッフ数人、メディア関係者とVIP位しかいなかった。 朝食後、ROTAXのスタッフ2人と一緒にコースへ。
今日は、予選ヒートなので昨日の雰囲気と違いちょっとピリピリした感じが漂っている。
昨日は気づかなかったが、90kgは、有りそうな太った人や、もしかしたら40歳後半と思える人達もドライバーとして走っていた(昨日のテントの中では、彼らをてっきりメカニックと思っていた)。 ちなみに最高齢ドライバーは52歳、又Finalで3位になったArrowのドライバーは、ウエイトチェックの時、ウェイト無しの状態で167kgだった。
ワールドファイナルレースといっても世界選手権、ヨーロッパ選手権、WorldCupみたいにプロフェッショナル達の戦いではなく、お祭りみたいな感じ。
コースをうろうろしていると日本人を発見、ポートランド以来、日本人に会うのは久しぶり。
日本電装の??さん、??さんとその家族それとBSの石塚さんだった。
ROTAX-MAXの点火システムは、日本電装とROTAX社の共同で開発され、更にボタン1つでバックが出来るシステムも開発最終段階らしい。 BSさんは、MAXチャレンジレースのためのタイヤ“YGK”(YGB並のグリップとYEQ並の耐久性というコンセプトのタイヤ)を開発供給してくれており、両社とも今回のワールドファイナルレースのスポンサーでもある。
日本のメーカーさんが深く関わっているこのレースに日本人ドライバーが出ていないのは、残念だし、各国のドライバー達から日本人ドライバーはなぜいないのだと聞かれて返答に困ってしまった。
次回は、2001年の各国のMAXチャレンジレースから選抜されたドライバー達を集めて2002年1月の第2週、マレーシアのランカウイで開催されることが決定している。
ちなみにドライバー達は、ROTAXやスポンサーの協力で航空チケット、ホテル宿泊費、機材の運送費は全て無料になっており、さらにレース時のエンジンは、ROTAXより封印されたエンジンを無料貸出、タイヤもBSさんより無償提供、オイルやガソリンも無償配給といった徹底したイコールコンディションでMAXドライバー世界一を決めようというコンセプトには、感銘を受ける人は多いことと思う。
本日の予選ヒートでも、南アフリカの2人とArrow勢が上位を独占しており、タイムは、45秒前半まで来ている。 上位のドライバー達は、ICAクラス並の技量はあるようだ。 それよりも、腹が出てきていたり、頭が薄くなっているオヤジ達が汗びっしょりになって帰ってきて、バトルをした異国のドライバーと片言でコミュニケーションを取り握手をしたりお互いの走りをたたえ合ったりしている姿が印象的だった。
ニュージーランドチームはシャツと帽子を、マレーシアチームは、シャツを関係者達までそろえていて一目で解るようにしていたり、次回開催地のマレーシアからは外務省の次官級の人も来ていて大きな国旗を振って応援していたり、 自国のドライバーを熱狂的に応援している姿を見ているとオリンピックみたいな感じだ。
午後からは、CIK/FIAの役員の人達数人も訪れて興味深くレースの進行状況や雰囲気をチェックしているのが見られた。
2000/11/18
本日もROTAXのスタッフ2人とサーキットへ。
さすがに3日目になるとオヤジドライバーの大半は、ネックガードを付けて走っている。
本日は、公式練習の後、敗者復活戦とプレファイナル、ファイナル、VIPレース、そしてプレスレース。
結果は、南アフリカの2人にArrow勢が続くといった結果でした。
VIPレースには、日本電装の??さんと??さん、BSの石塚さん、CIK/FIAの役員数名、デロルト(有名なキャブレターメーカー)の社長(多分70歳以上、奥さんから死なないでと言われていた)、さらになぜかニコラ・ジャンニベルディー(92年-FA、93年-FSAの世界チャンピオン)も出場してMAXを十分楽しんでいた。
プレスレースは、(香港GPでは、フィジケラ達とバトル、自称天才)、みんなをあっと言わしてやろうと意気込んでいたが、残念な結果に、2回のコースアウトの後、5周目には、腕が上がってしまい。カートはやるものじゃないとヘルメット越しにつぶやいていた。
それとは裏腹に、初めてのカート走行と言うことで昨日から不安がっていたBSの石塚さんは、見るよりもやる方が何倍もおもしろいねとのコメント、大会終了後、試乗会が行われハイヒール履いた若い女性まで試乗してカートを楽しんでいるのを見ると、その最大パワーゆえMAXエンジンは、中上級者向けと思っていたが初心者にも受け入れられるエンジンではないかと思う。
多くの初心者がカートの楽しさを味わう前に押し掛けや、エンジン始動の壁にあたり四苦八苦している状況を当たり前のものと思っていたのは、間違えではないかと気づかされた。
乗用車感覚でスタートボタンを押せばあっという間にエンジンが始動し後は、アクセルを踏むだけでレーシングカートを誰でも楽しむことを可能にしているMAXエンジンの凄さに改めて感心した。
現在数社からセル付エンジンのインフォメーションがあるが未だ本格的な市販化に至っていないのは、従来の100ccエンジンの点火系やキャブレターのままセルモーター等を付けただけでは、様々なトラブルが発生しているためであろう、とのROTAX技術者からの説明有り。
100ccの従来のレーシングカートを考えるときフォミュラーカー的なものを想像してしまうが、MAXは、それよりも間口の広いツーリングカー的なものを想像してもらうと理解しやすいかもしれない。
レースはちょっとと考える人達には、特別なテクニック無しの乗用車感覚でスポーツ走行を十分楽しむことが出来、レースをする人達にとっては、FA/ICA並のタイムが出る性能で世界一決定戦まで準備してある。さらに、ランニングコストは、100ccエンジンに比べて劇的に低く押さえられており25時間毎のエンジンチェックと50時間毎のオーバーホール意外ほとんどメンテナンスフリーとくれば、ヨーロッパ、オーストラリアで爆発的に広まっていることも納得。
その日の夜は、ホテルに関係者一同が集まって各国のチャンピオンの表彰や次回開催地マレーシアの紹介等で盛り上がり、第一回ROTAX-MAXワールドファイナルレースは、幕を閉じた。
2000/11/19
ドライバー達は機材を自国へ送り返すため午前中コースにて梱包、彼らも午後からビーチに繰り出してきていた。 私は、一日中ビーチで爆乳のお姉さん達を見ながらゴロゴロしていたら真っ黒に日焼け。
2000/11/20
ディストリビュータ会議が9:00より始まる。 スケジュールを見てびっくり、きっちり4:30まで組んである、午後からショッピングと思っていたのにショック。
しかし、会議が始まると各国ディストリビュータの自己紹介の後、次回のワールドファイナルレースのレギュレーション、MAX-Jrの位置付け、他社エンジンとの比較等、白熱したものとなり時間が過ぎるのも忘れるほどだった。
ライセンスや車体基準、安全等に関しては、CIK/FIAと密接に連携を取りながらも世界規模でレースを作っていくことに微力ながらも参加していることに感激した。
次回のROTAX-MAXワールドファイナルレースは、2002年1月の第2週、マレーシアのランカウイで開催、招待選手は最大80人、各国最低1人+各国のレース参加者に応じて1-3人の招待枠、CIK/FIA公認以外のシャーシでもOKだがプラスチックボディーパーツは、CIK/FIA公認のみ、参加最低年齢は、2001/12/31までに18歳以上、最低重量は160kg以上、MAX-Jrのワールドファイナルレースも開催を前提にレギュレーション等を決めていくこと、レディースレースの併催を考慮、等々が午前中に確認された後、今回の一つの目玉であるROTAX-MAX-DD(ダイレクトドライブ)がランチ前に披露される。
写真を見てもらえば判る通りチェーン駆動ではなく、ギアで直接リアシャフトを回すというまさにダイレクトドライブ、参加者一同が度肝を抜かれたのは言うまでもありません。
このエンジンは、多くの人が嫌う車体の汚れやトラブルの原因となるチェーン駆動を止めることで、MAXよりも更にメンテナンス時間を低減させ、新たなカート人口を掘り起こすことをコンセプトとしています。
ギアの交換は、ギアカバーを外すことで簡単に出来るようになっており、ギアレシオがチェーン駆動に比べて限られてしまうことを補うために2速変速となっています、勿論、3速、4速への多段化も可能とのこと。従来の100cc,125ccのカートフレームにこのエンジンを搭載することは、ベアリングホルダー等の問題で不可能に近く、専用のフレームが必要になるため、フレームメーカーに専用フレームを作ってもらうように働きかけ、協力してもらわなければならないところが従来のカートエンジンに比べて不利なところか、 ROTAX社は、いかなる時もエンジン供給者であって完成車やフレームを供給することはなく、希望が有ればフレームメーカーに試作機を供給するとのこと。
2002年の正式発売までには、様々な改良や変更があるだろうが、プロトタイプの完成度はかなり高そうだったことは、伝えておきます。 チェーンオイルで手や服を汚していたのが過去のものになるかも?
会議の間中、JAGのJohnさんやGKSのPaulさん達が活発に意見を出しているのを聞いていると、FSA/FA/ICA等のエンジンレギュレーションが混迷している中、ヨーロッパの一流チューナー達もMAXにカートの新しい可能性を見つけようとしているのがひしひしと感じられた、と同時にROTAXという会社の奥深さに改めて感心させられた次第です。
来年、瑞浪レークウェイでワールドファイナルの予選となるMAXチャレンジシリーズを関係各所のみなさんのおかげで開催予定です。腕自慢の初心者の方からオヤジ(オバサン)までふるってご参加下さい。 又、MAXチャレンジレースに興味を持ったコース、レース主催者のみなさん(株)栄光まで御連絡下さい、一緒にMAXチャレンジレースを作っていきましょう。
最後に、日本電装さん、BSさん今回のワールドファイナルレースへのスポンサーありがとうございました、次回もよろしくお願いします。